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宇都宮けんじのプロフィール

宇都宮けんじをもっと知りたい!

01 鍬を持ち、荒れた大地を開墾する「父の手」が原点

貧しかった生い立ち

1946年12月1日、愛媛県の小さな漁村に生まれ、9歳の頃、開拓農家として、一家で大分県に移り住みました。電気などもちろん届かない荒れた土地を、いちから開墾し、朝暗いうちから夜遅くまで、ひと鍬ひと鍬、懸命に耕す父親の姿を見て育ちます。「肉が見えるまで皮膚が裂け、そこにワセリンをすりこんで、また鍬を持つ。その父の手が忘れられない」。親孝行したい一心で、猛勉強し、東京大学に入学しました。

大学では、卓球部で汗を流す一方、被差別部落で育った女性の日記集『わたしゃそれでも生きてきた』(東上高志)、産炭地児童の生活記録集『小さな胸は燃えている』(芝竹夫)という本に大きな衝撃を受け、「父のような、貧しく苦労する人びとのために、力を尽くそう」と弁護士になることを決意します。

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わたしゃ小さな胸
わたしゃそれでも生きてきた(東上高志)/小さな胸は燃えている(芝竹夫)

02 法を駆使して被害者を救済する

法を使えば、暴力団も尻込みする!

1984年、約3万人から2000億円もだまし取った豊田商事は、会長が刺殺され、倒産に追いこまれていました。この破産に際し、大阪で管財人を務めた弁護士・中坊公平が、宇都宮の元に「手伝ってもらえないか」と頼みに来ます。豊田商事の資金を回収し、財産を売却する役割を担う「管財人」は、どの弁護士も引き受けたがらない仕事だったのです。世間的には、「高金利に惑わされてだまされた老人など放っておけ」という風潮もありました。

しかし、宇都宮は、「こつこつと苦労して貯めた老後のためのお金をプロの詐欺集団にだましとられたのだから、かれらは被害者だ。救済されなければならない」との思いから、東京の管財人常置代理人を引き受けます。資産などほとんど残っていない状態での倒産だったため、資金の回収は当初、難航をきわめましたが、まず宇都宮は、豊田商事の詐欺的商法を知りつつ不動産を貸したビルオーナーらを相手に訴訟を起こし、約20億円の回収に成功します。

また、大金を貸し付けていた金融業者に対しても訴訟を起こし、担保となったホテルに居座っていた暴力団には、明け渡し断行の仮処分命令を東京地裁から出させました。宇都宮は、警視庁暴力団対策課の刑事とともに、かれらが占拠している部屋に踏み込み、明け渡しを断行し、結果、約13億円の回収に成功します。また、国税庁に交渉し、豊田商事が納めた税金の一部還付も勝ち取りました。

流出した資産を、あらゆる手段で回収したこの事件が、法の力を駆使して被害者を救済する宇都宮けんじの原点となりました。

03 法がないなら、つくる

オウム被害者の救済

1995年、地下鉄サリン事件が発生し、被害対策弁護団長に就任。被害者の多くは健康を害し経済的に困っていました。被害者を救済するには、宗教法人オウム真理教を破産に追い込み、教団の資産を救済にあてるほかありません。

そのため、宇都宮は危険なサティアンに踏み込み、仮差し押さえを執行します。また、破産の宣告に必要な資料は東京地検や法務省が握っており、持ち出すことができなかったため、国を巻き込み、資料を出させ、破産の申し立てを成功させました。

しかし、オウム真理教に破産が宣告されると、国や自治体までオウム真理教に対する債権を届け出たのです。「それは被害者に払うべき財産の横取りではないか」。宇都宮は、国や自治体に債権放棄の要請をくりかえし、1998年の特例法の制定が実現。被害者の損害賠償債権を国の債権より優先させることに成功しました。

また、教団資産の限界を見越し、足りない分は国が補償すべき、と議員立法を強く働きかけました。その結果、2008年「オウム真理教犯罪被害者等を救済するための給付金の支給に関する法律」を成立。最高3000万円が遺族や被害者に支払われることになりました。

04 現場と法を、つなぐ

それこそ弁護士の政治!

サラ金など多重債務問題には、1970年代の終わりごろから取り組んでいます。その甲斐あって1983年に出資法の上限金利が年40.004%まで引き下げられるなど、状況を着実に好転させてきました。

しかし、出資法の上限金利と利息制限法の制限金利(年15〜20%)のあいだ、いわゆる「グレーゾーン金利」でサラ金を営業する余地が残り、多重債務者は増えつづけました。粘り強い運動の末にグレーゾーン金利の撤廃が実現したのは、改正貸金業法が制定された2006年(完全施行は2010年)です。ようやくサラ金業者がムチャな金利をとれなくなり、多重債務者は「払いすぎた分を取りもどす」こともできるようになりました。その姿は、宮部みゆきのベストセラー推理小説『火車(双葉社)』のモデルにもなっています。

「官僚機構に対抗して、在野の視点から対案を出すことができるのが、法律の専門家である弁護士の集団」。役人は、例えば消費者問題の被害実態を直に見ていません。「弁護士には現場を知る者として、法案や政策づくりに関わっていく義務がある」。目のまえの被害者だけでなく、いつか被害に遭うかもしれない人のためにも、法や制度を現場とつなぐ実践を積み重ねてきました。

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火車
火車(宮部みゆき)

05 政治家とは、困っている人のために働く存在

「困った」を希望に変える東京をめざして

2010年、3万2000人の弁護士を束ねる日弁連の会長選挙に、日弁連史上はじめて完全無派閥で立候補。激戦の末に、当選を果たしました。日弁連会長として、人権擁護などに尽力するなかで、東日本大震災と福島原発事故が発生。福島をはじめとする被災者の支援に、先頭に立って取り組んできました。

2011年4月、いち早く、文部科学省が福島県内の学校・幼稚園などで屋外活動を制限する際の目安とした放射線量の見直しを求めたほか、2011年10月には、「避難区域外の避難者に対する損害賠償に関する会長声明」、2012年4月には、「障がい等を有する福島原子力発電所事故被害者に対する損害賠償について特別の配慮を求める会長声明」を次々に出すなど、迅速かつ勇気ある行動が話題を呼びました。

会長を退いたあとも、生活や自然環境を一瞬にして破壊してしまう原子力エネルギーからの一日も早い脱却を求めつづけています。

また、「東京都は、福島原発で発電した電力の最大の消費地。原発事故の被害者のみなさんを全力を挙げて支援する、救済する大きな責任がある」と考え、「脱原発を東京から」を強くアピールしています。

「日本の社会は、私の父や母のように黙々と働いてきた、名もない農民や漁民、労働者などによって支えられてきた。政治家とは、そうした人びとのために働く存在。ひとりひとりが大切にされる社会にしていかなければ」と語り、“困った”を見捨てず、それを希望に変える東京をめざしています。

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