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宇都宮けんじブログ

第14回「貧困ジャ一ナリズム大賞2021」授賞式&シンポジウム(2021年11月20日)のご報告

はじめに

2021年11月20日(土)に、希望のまち東京をつくる会(以下、当会)代表・宇都宮けんじが代表世話人を務める反貧困ネットワーク主催の「貧困ジャ一ナリズム大賞2021」授賞式およびシンポジウム「生理の貧困、9060、難民虐待…コロナで深刻化する”貧困”」が全水道会館で開催されました。
参加した当会スタッフのレポートを、当会ブログにて、掲載させていただきます。

【「貧困ジャ一ナリズム大賞2021」授賞式&シンポジウム「生理の貧困、9060、難民虐待…コロナで深刻化する”貧困”」】
主催:反貧困ネットワーク
開催日:2021年11月21日(土)14:00~16:40
開催場所:全水道会館4階大会議室

レポート

■本イベントについて

「貧困」に関する報道の分野で目覚ましい活躍をみせ、世間の理解を促すことに貢献したジャーナリストたちを顕彰する「貧困ジャ一ナリズム大賞2021」の授賞式とシンポジウムが、宇都宮けんじが世話人代表を務める反貧困ネットワ一クの主催で11月21日(土)に全水道会館で開催されました。
この賞は、日本社会が抱える貧困の問題において、隠されていた真実を白日の下にさらしたスクープ報道、綿密な取材で社会構造の欠陥や政策の不備を訴えた調査報道などを対象とし、取材される側や専門家の側から見た報道の評価を社会に示すことを目的としています。2007年から、2008年を除く毎年開催され、今回で14回目となりました。
司会は同ネットワ一ク世話人の白石孝氏、選考過程の説明を選考委員の一人である河添誠氏が行い、そして賞のプレゼンタ一を宇都宮けんじが務めました。

■貧困ジャーナリズム大賞:NHK「生理の貧困」に関する一連の報道活動

貧困ジャ一ナリズム大賞には、市野凛、松田伸子、吉永なつみ、新井直之ほかNHK取材チームによる一連の報道活動「生理の貧困」が選ばれました。本報道の授賞理由は下記のとおりです。

「経済的な困窮などのために生理用品をつかうことができない「生理の貧困」の問題にいち早く注目。この問題を調査してSNSで発信する若い女性たちと連携してキャンペーン報道した。若い女性たちが悩み苦しんでいる実態を「おはよう日本」「クローズアップ現代+」などの番組で知らせたほかネットでも発信した。他の先進国の実例も取材して男性にも理解しやすい形で報道を繰り返し、結果的に学校や自治体などでトイレにナプキンを常備させる対応を実現する成果に結びつけた。女性の職場や学校などでこれまでほとんど目を向けられることがなかった問題に社会の理解を促進させた一連の報道活動はこれまでにない画期的な報道活動として高く評価したい。」(当日資料より、以下「」について同。)

■力作揃いの貧困ジャーナリズム特別賞&貧困ジャーナリズム賞

貧困ジャーナリズム賞は、本来ジャーナリズムを対象とすることから、新聞記事・テレビやwebなどのコンテンツが対象となっているため、それ以外のメディアについては、特別賞という扱いになっています。貧困ジャ一ナリズム特別賞として、以下の3作が受賞されました(以下、敬称略)。
中島京子『やさしい猫』中央公論新社.(小説)
瀬々敬久『護られなかった者たちへ』.(映画)
藤元明緒『海辺の彼女たち』.(映画)

また貧困ジャーナリズム賞は、以下の作品が受賞されました。
森葉月・佐藤綾子(中京テレビ)「おいてけぼり~【9060家族】」(NNNドキュメント)
持丸彰子・青山浩平・海老沢真・真野修一(NHK)「ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」(NHK ETV特集)
河北敏之・瀬戸雄二・武井一裕ほか取材チーム(TBS)「”格差と貧困”に注目した一連の報道」(TBS「報道特集」)
石井光太『格差と分断の社会地図』日本実業出版.
平野雄吾(共同通信社)『ルポ入管 絶望の外国新収容施設』ちくま新書.
上村直也(読売新聞大阪本社)『愛をばらまけ』筑摩書房.
千葉則和・上東麻子(毎日新聞社)『ルポ命の選別~誰が弱者を切り捨てるのか』文藝春秋.
原真(共同通信社)「わたしの居場所」を含む在日外国人らに関する入管政策についての一連報道
大久保昴(毎日新聞社)非正規教員問題を巡る一連の報道
小林美穂子・稲葉剛・和田靜香『コロナ禍の東京を駆ける~緊急事態宣言下の困窮者支援日記』岩波書店.
高橋淳(朝日新聞社)ひきこもりの悪質支援業者の手口や被害の実態をリポートした朝日新聞の連載記事「『引き出し』ビジネスと関連記事」

■シンポジウム

授賞式の後では、シンポジウム「生理の貧困、9060、難民虐待…コロナで深刻化する”貧困”」が、竹信三恵子氏(和光大学名誉教授・ジャ一ナリスト)および水島宏明氏(上智大学教授・ジャーナリスト)をコ一ディネ一タ一、各授賞者をパネリストとして開催されました。

元々、このシンポジウム自体が、動画中継などが行われていません。それというのも、取材中に感じたことや、記事に出すまでの苦労などを話してもらうためには、オフレコにしないと、受賞者のみなさん・所属される各組織に影響を及ぼしてしまうから、との配慮でした。

そのため、一参加者である私が持った感想を、あくまで個人的な意見の範囲で、いくつか書いておきたいと思います。

一つには、テーマが「新しい」だけでなく、メディアの特性についても議論が及んだことです。これとも関わって第二に、フィクション・ノンフィクションという境界の話題も出ました。
例えば新聞記事で特集された内容が、映画や小説で表現されることによって、多くの人々に届くとともに、各種メディアの特性が活かされた表現になっていると話されました。小説や映画は、それ自体がドキュメンタリー・ノンフィクションではないにしても、元々は新聞やニュースに基づいて作られていると同時にそこに想像力・作り手の解釈が加えられることで、「再現の可能性」としてのフィクションになる、との指摘がありました。同時に、すぐれたルポ・ドキュメンタリーは、それを小説や映画で描きたいと思わせる、「フィクションを喚起する力」を持つという応答もありました。

第三に、そうした作品は、常に作り手の葛藤とともに生み出されているという事実です。オフレコで行われているからこそ、あるがままを撮りたいけれどそれを流せない、書きたいように書けない、ということも、(私は数年間、参加していますが)これまで語られてきました。例えば、企業に属して賃金をもらっている自分が、目の前にいる取材対象のことを語る・移すのは、どこか欺瞞ではないのかという葛藤や、メディアが作られたものと視聴者が見たいものには常にギャップがあることをどう埋め合わせるのかなど、様々な葛藤の産物として、個々のコンテンツが生み出されています。

あくまで私は一参加者でしたが、社会運動に参加したり、日々仕事をしたりしながら、やはり葛藤することがあります。そのような時に、今日のようなシンポジウムを心にとどめておくことで、そのような葛藤と、しかしそれでいて社会を良くしていきたいという気持ちとに、折り合いをつけていけるようになるのかなと思いました。