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宇都宮けんじブログ

徐京植・宇都宮健児トークセッション「日本リベラル派の頽落(たいらく)―『戦後民主主義とは何だったのか』」(2018年3月14日)のご報告

はじめに

作家で東京経済大学教授の徐京植(ソ・キョンシク)さん(以下、徐さん)と希望のまち東京をつくる会(以下、当会)代表の宇都宮けんじ(以下、宇都宮)とのトークセッション「日本リベラル派の頽落―『戦後民主主義とは何だったのか』」が、3月14日(水)に出版社の高文研の主催で文京区民センターにて開催されました。この日は、森友・加計疑惑追及の官邸前の大きな集会などと重なったものの、130名ほどがこのトークセッションに参加しました。
以下では、講演会に参加した当会運営委員が、当日の様子をレポートします。本人の許可を得て、当会のブログにて集会報告をします。
演題:「日本リベラル派の頽落――『戦後民主主義とは何だったのか』」
主催:高文研
開催日:2018年3月14日(水) 19:00~
開催場所:文京区民センター3-A会議室
登壇者:徐京植(作家・東京経済大学教授)
宇都宮けんじ(「希望のまち東京をつくる会」代表)

1.本企画のきっかけ

徐さんは、昨年、『日本リベラル派の頽落』という本を高文研から出版しましたが、それを読んだ宇都宮が感銘を受け、「すべての日本人が読むべき本」とtwitterに書いたことから、それを知った高文研の人の企画でこの対談が実現したとのことです。
宇都宮の父親は、20歳のとき徴兵で招集され、陸軍に入り、10年間青春の真っ只中を戦争に従事し、足を負傷して帰国しました。ただそのことが意味するのは、日本人兵士として侵略戦争の手先であったことでもあり、この徐さんの本は日本人にとっては胸が痛いことも書かれています。また今の憲法ができたのも、その侵略戦争と植民地支配の犠牲と反省の上に誕生したこともあり、宇都宮はこの本に感銘し、多くの日本人に読んでほしいと思い、このようにtwitterで呼びかけました。

2.この20年に及ぶ日本の頽落

1951年に京都で生まれた在日朝鮮人である徐さんの2人の兄である徐勝・徐俊植兄弟が、1970年代に軍事政権下の韓国に留学中に逮捕され、大変な拷問を受けるも屈服しなかった事件は日本でも当時大きな反響を生みました。徐さんは日本において兄たちの救援運動に奔走しました。宇都宮は、徐勝・徐俊植兄弟のことは報道などで知っていましたが、徐さんのことはこの本ではじめて知ったとのことです。
徐京植さんは東京経済大学で、人権論と芸術学を教えていますが、学生たちは一人ひとりでみると、優しくて善意な学生たちで、今はネトウヨ的な扇動に動かされないように見えるが、逆に言うとどんな扇動に対しても無関心な人たちで、危ういと感じているとのことです。
徐さんは、東日本大震災の際、褐色の軍服を着た教え子の学生たちが大学の研究室に来て、「先生ご同行願います」と言い、ライトバンに乗せられて連れてゆかれるという妄想、夢を見ることがあるとのことです。しかし同様のことは実際にナチス時代にあったとのことです。
今日、徐さんら在日朝鮮人に対して「日本から出てゆけ」というヘイトスピーチが蔓延しています。徐さんが子どもだったころ、子ども同士の喧嘩になるととよく差別的な発言をされたとのことですが、60年後の今日では子どもではなく、いい年をした大人たちがそれを言う社会になっていると徐さんは嘆きました。
徐さんは戦後日本のリベラル派の影響を受けて思想形成してきたとのことですが、リベラルといわれる朝日新聞や毎日新聞、東京新聞などのメディアや知識人に対して、問題を感じているとのことです。特にこの20年間の頽落が大きいと思っているとのことです。
安倍首相が戦後70年談話を発表する際、反省の意が表明されるかどうかにマスコミの注目が集まりましたが、実際の戦後70年談話は、国際秩序の流れを見誤って戦争に突入したという反省でしかなく、つまりは国際連盟のリットン調査団に対して詫びているにすぎません。その前提にあるアジアへの侵略に対してまったく詫びていないどころか、欧米列強の圧力があったため、それに抵抗するために戦争が始まったのだ、という言い分です。
これは、まったく的外れで筋違いのもので、自己自賛でしかない主張です。その点を批判したマスコミは、リベラルといわれる朝日新聞、毎日新聞、東京新聞まで含めてほとんど見られなかったと徐さんは批判します。右派との関係では彼らを応援しなければならないし、もっと頑張ってほしいのだが、原則的な議論という点では随分ここまで後退したものだと徐さんは思うとのことです。
それはメディアだけの問題ではなく、そのメディアの議論を構成している、いわゆる知識人といわれる人たちの問題でもあるとのことです。大江健三郎はノーベル文学賞の受賞演説で「曖昧な日本の私」というスピーチをしましたが、徐さんは、物事を曖昧にする日本社会の問題点も指摘しました。
また徐さんは、平昌オリンピックの際の日本のマスコミの上から目線の、韓国や北朝鮮に対する報道や論評も批判しました。宇都宮も、平昌オリンピックや北朝鮮に対する報道で、「微笑み外交にだまされるな」という報道がリベラルといわれるマスコミでもなされ、拉致問題でも対話をしなければ解決しないのに、対話を拒否して圧力一辺倒の対応を批判しました。

3.戦争責任との向き合い方

宇都宮は、同じ敗戦国である日本とドイツを比較し、戦後の歩みがまったく違うと述べました。ドイツは自らナチの戦争犯罪を裁きました。賠償も日本と比べて、きちんと行いました。ワイツゼッカー元ドイツ大統領は「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という有名な演説をし、ドイツはある段階から徹底して過去と向き合いました。またドイツはベルリンの一番目立つところにユダヤ人犠牲者の記念碑を建てていると宇都宮は指摘します。それはソウルの日本大使館前の慰安婦少女像を撤去しろと韓国政府に要求する日本政府の対応とは対照的です。
徐さんは、ドイツ国民が特に倫理的に優れているからそうなったというのではなく、周辺国との関係で、徹底的に合理的、現実的に考えたから、そのような選択をしたのだと指摘しました。日本政府が日本大使館前の慰安婦少女像を撤去しろと要求しているが、それは日本政府が自らを加害者と一体化していることに他なりません。ナチス・ドイツが誤りであると国家的に総括を行っているドイツ政府が、ドイツ大使館の前に、ナチスを批判する銅像を建てられても抗議するであろうか、と徐さんは述べた上で、日本政府やそれを支持する人たちは、自らを加害者と一体化していると徐さんは批判します。日本のリベラルといわれるマスコミも含めて、そのことを批判しないことを徐さんは問題視します。
ドイツでは、ユダヤ人やロマの人たちが強制収容所につれて行かれた道に沿って、「躓(つまづ)きの石」と呼ばれる被害者の個人名が刻まれた金属板が埋め込まれているとのことです。南アフリカでアパルトヘイトが行われていた時代にイギリス・スコットランドにあるグラスゴー市は南アフリカ領事館前の通りの名前を「ネルソン・マンデラ通り」(ネルソン・マンデラはアパルトヘイトに反対して闘い、当時、南ア政府により投獄されていた)と改名したとのことです。
宇都宮は、慰安婦問題の日韓の政府間合意についても次のように述べました。すなわち、被害当時者抜きで決めるべき問題ではなく、人権を侵害されて損害賠償を請求できるのは被害当事者やその遺族であって、被害当事者の頭ごなしに政府間で合意することは国際的にも許されない。また「不可逆的解決」などということは加害者側が言うべきことではなく、それが言えるのは被害者側であると指摘しました。
宇都宮が日弁連の会長をしていたとき、韓国の日弁連に当たる大韓弁護士協会と共同宣言を出して、日本政府は、きちんと立法措置をとって、慰安婦問題や強制連行の被害者に対して謝罪して賠償金を支払うべきであり、そのことをきちんと後世に伝えるべきだとした宣言と提言を出したとのことです。
関東大震災の際に6000人近くの朝鮮人が虐殺されましたが、その追悼式に、歴代の都知事は、石原慎太郎氏まで含めて追悼文を送っていたのに、小池都知事は追悼文を送ることをしませんでした。また群馬県の高崎市に建てられている強制連行被害者の像の撤去を県議会が決議しました。これらに対して、もっと激しい批判がされるべきなのに、日本社会で大きな批判にならなかったことも問題だと宇都宮は述べました。

4.天皇制と民主主義

徐さんの本には天皇制の問題も書かれていますが、天皇制や天皇の戦争責任についてもこの対談で話されました。宇都宮は戦争責任の問題を考えてゆくと、天皇制の問題に行き着くと述べました。天皇制は天皇個人の人権をも侵害しており、日本国憲法は主権在民を謳っているのに、第一条は天皇から始まっている。基本的人権や立憲主義、平和主義という日本国憲法の基本原理は変えることができないが、天皇制の問題は国民が望むならば変えられると指摘しました。
徐さんは天皇個人の問題と天皇制は区別しなければいけないと指摘し、右派、保守派は情念が問題であって、合理性などどうでもよいとされますが。それに対して、リベラル派は徹底的に合理的に考える必要性があるが、日本のリベラル派は、合理的に考えるのではなく、天皇個人がよい人であるとかという感情に左右されてしまっていると徐さんは批判します。また日本国憲法には天皇の地位は「日本国民の総意」に基づくと書いてあるが、投票で決めたわけではない。そこにも日本人の曖昧さがあるが、天皇の代替わりを認めることは、改めて天皇制を選択することになると徐さんは指摘しました。
宇都宮は、日本の植民地支配や侵略戦争と向き合う必要があるという思いを強めることになったきっかけは、韓国を訪れて、韓国の市民運動と交流するようになったことが大きいと述べました。民主国家の多くは、フランス革命を始め、血を流して民主主義を勝ち取ってきましたが、韓国の人たちは軍事政権と闘い、民主化を勝ち取りました。朴槿恵(パク・クネ)政権を倒したロウソク市民革命は、韓国の3分のⅠの人たちが参加したといわれるように、幅広い人々が参加したと述べました。日本国内だけを見るだけでなく、外側から見ることによって、日本の民主主義を捉えなおすきっかけになると指摘しました。

5.人権の実現に向けて

さらに宇都宮は、憲法と権利の関係にも言及しました。日本の憲法は確かにすばらしい憲法ですが、自分の力で闘い取ったものではないため、一つ一つの人権というものが社会に定着していません。現在、生活保護受給者に対するバッシングがなされていますが、生活保護制度は憲法25条で保障されている健康で文化的な最低限度の生活を保障する基本的な制度でありながら、それに対してバッシングがなされることは、権利として社会に定着していない表れだとします。
事実、現在の生活保護は、生活保護対象者の2割以下しか受給しておらず、多くの人は生活保護水準以下の生活を我慢しています。学校で憲法25条を教えるだけでなく、それを具体化する生活保護の権利と利用の仕方を、本当は高校くらいで教えるべきなのだが、教えていないことが問題です。
その他にも、憲法27条、28条では、勤労者の権利とか勤労者の団結権、団体交渉権などを規定していますが、学校では労働組合の作り方、団体交渉の仕方を教えていません。憲法21条では、集会・結社・表現の自由を保障しているが、学校ではそれに必要なビラの撒き方、集会の仕方、デモのやり方などを教えていない。
宇都宮が日教組の集会で講演したとき、それらを教えているかを聞いたところ、考えてもいなかったと言われたとのことです。日教組の人たちは、自分たちの権利を守るため、労働組合をつくり、当局と闘っているけれども、組合の作り方を子どもたちに教えていません。基本的人権が定着しなければ、民主主義は育ちません。安倍政権を中心とする右傾化と闘わなければならないが、基本的人権を考え、同時に国際的な視野で見ることも必要だと、宇都宮は最後に述べました。
徐さんは、権力は絶えず、人民を分断して支配しようとするが、分断されないことが重要だと述べました。日本人と外国人、世代間対立などを利用としようとし、今は、老人と若者の対立が強調されているが、両者が分断されるのではなく、共闘する必要を述べました。加藤周一は齢90歳にして、「老青共闘」(老人と若者の共闘)を呼びかけましたが、老人は自ら立ち、若者の心に届く言葉で、語りかけ共闘することが必要だと、徐さんは最後に述べました。