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宇都宮けんじブログ

中川五郎さん『ピーター・ノーマンを知っているかい?』(@「ありがとう高円寺グレイン」)

さまざまんイベントを開催し、市民の交流の場として栄えた高円寺グレインがこの度惜しくも閉店することになりました。「ありがとう高円寺グレイン」というイベントに参加した宇都宮けんじの談話を以下でレポートします。

宇都宮けんじ談話

『ありがとう高円寺グレイン」のイベントで中川五郎さんの歌を初めて聴いた。1968年のメキシコオリンピック男子200mで1位と3位になったアメリカ黒人選手の表彰台における「ブラックパワー・サリュート」に連帯行動をとったピーター・ノーマン(オーストラリアの白人選手)のことを唄った歌に感動した。

1968年メキシコオリンピック200m男子1位トミー・スミス3位ジョン・カーロスはいずれもアメリカの黒人選手だった。1968年のアメリカでは4月に黒人指導者キング牧師が暗殺され全米で人種差別抗議運動公民権運動が盛り上がっていた。2人は表彰台で黒い手袋をはめた拳を空に突き上げる抗議行動を行った。表彰台で抗議行動(「ブラックパワー・サリュート」)を行ったトミー・スミスとジョン・カーロスは選手村から追放され、閉会式に出ることすら許されず、強制帰国させられた。選手生命を絶たれた2人は職場を解雇され、家族はさまざまな脅迫を受け、ジョン・カーロスの妻は自殺に追い込まれた。

時が流れトミー・スミスとジョン・カーロス2人の名誉は回復され、2005年には2人の勇気と信念を讃えてカリフォルニア州にある2人の母校サンノゼ州立大学に2人の銅像が作られた。この銅像に2位のピーター・ノーマンの像がないのは、彼自身の願いからだったということである。トミー・スミスやジョン・カーロスより過酷な人生を歩むことになったのは銀メダリストのオーストラリアの白人選手ピーター・ノーマンだった。

陸上男子短距離でのメダル獲得はオーストラリア初の快挙であり、ヒーローとして国に帰るはずだった彼はオリンピックの表彰式で自ら過酷な人生を選んだ。ピーター・ノーマンはトミー・スミスとジョン・カーロスが胸につけていた「人権を求めるオリンピックプロジェクト」のバッジを胸につけて表彰台に上り2人のパフォーマンスに賛同する意志を示した。この行為が伝えられるとオーストラリアではピーターに対する賞賛が一変してバッシングが行われた。オーストラリアではピーターの史上初の快挙が大々的に報道されマスコミや国民は熱狂したのに、彼が帰国したとき空港で待ち受けていたのは母と妻、数名の友人だけだった。自宅に何通もの脅迫状が届くようになった。

ピーターはその後妻と離婚し、職を転々とするようになった。ピーターはオリンピック派遣標準記録を何度も突破していたが、オーストラリアオリンピック委員会は1972年の行われたミュンヘンオリンピックに陸上男子200mに選手を派遣しないことを決めたため、ピーターはミュンヘンオリンピックに出場出来なくなってしまった。ピーターは陸上競技からの引退を決意した。ピーターは2006年10月3日心臓発作で亡くなった。同年10月9日に行われたピーターの葬儀には、参列者は少なかったがアメリカからトミー・スミスとジョンカーロスが駆けつけピーターの棺を担いだ。米国陸上競技連盟はこの日を「ピーター・ノーマン・デー」とすると発表した。

ピーターの死から2年後の2008年6月8日、ピーターの甥であるマット・ノーマン監督によるピーターのドキュメンタリー映画『サリュート』が完成し、オーストラリアで公開された。映画『サリュート』はクチコミで評判が広がり、最終的にはアメリカをはじめ世界6カ国で上映され8つの映画賞を受賞した。映画『サリュート』の完成から4年後の2012年8月、オーストラリア連邦議会はピーター・ノーマンの名誉を回復する動議を採択、91歳の母セルマさんを招き謝罪した。

ピーター・ノーマンを知るためにも、中川五郎さんの『ピーター・ノーマンを知っているかい?』を是非聴いてほしい。テニス全米オープンで大坂なおみ選手が優勝した。彼女はこの大会で7人の黒人犠牲者の名前が記されたマスクをつけて試合に臨んだ。彼女のテニスのプレーにも人種差別に抗議する行動にも感動した。そして、あらためてトミー・スミス、ジョン・カーロス、ピーター・ノーマンを忘れまいと思った。